doraさん、サービスの基本は「気遣い」、「気配り」だと自分に言い聞かせている。それは、図書館での資料提供においても例外ではない。いろいろな論議の中で、貸出など提供の方法、資料収集の中身などにサービスの基本を求めることは見受けるが、それでは「サービスとは何か」という問いに対して明確な答えは見出せていないような印象を受ける。
例えば、自分の図書館で持っていない本を利用したいというお客さんがいたとする。その時の本を提供するための選択肢は、
1.買う
2.他の図書館から借りる
3.他の図書館を紹介する
4.買えないので断る
おおむね上記のような方法が考えられる。ケースにもよるが、どの選択肢を取ることが一番適当か、敢えて答えは出さないが、ここで大切なのは、「お客さん」がどう考えているかということ。サービスとは言い換えれば「奉仕」すること、その精神の基本にはサービスを受ける人が如何に気持ち良くサービスを受けることができるか、という所にある。
とはいえ、予算などの制約があるので無限のサービスを提供する訳にはいかない。当然、提供できるサービスの範囲を自ら制限しなければいけない。それが、複本数、貸出冊数、選書などの論議につながっていく。ここで問題となるのは、図書館の持つ「守備範囲」について。
これは、距離的に直接行くのは不可能だという間での資料のやり取りであれば、一番近くの窓口を介在して資料を取り寄せるというのも当然だが、例えば1つの生活圏に複数の守備範囲の異なる(資料の傾向とか利用対象のこと)図書館があった場合、たとえ自分の所でリクエストを受け取ったからといえ、必ず自分の所で最後まで責任をもつべきだとはdoraさんは思わない。それが同一生活圏にある他の図書館の守備範囲にある資料であれば、そちらの図書館に引き継ぐのが筋ではないのか。
貸出中心の思想が強くなると、自分の図書館では手に負えないようなシロモノでも、貸出数を増やすために自分の図書館の実績になるよう取り寄せをして提供する。自分の図書館の収集範囲を著しく逸脱している資料であれば尚のこと、自分で処理せず譲ってしまう方が類書も一緒に提供できたりする意味で、より親切というものだろう。
長くなったが、こういう適切な「判断」の源となるのが、「気遣い」、「気配り」であって、お客さんの気持ちに立つということを実践するならば、どうするのがお客さんにとって一番良い選択肢なのかということが先に脳裏を横切りるのではないかと思う。
近くに大学があって、その影響だろう、高度なレファレンスがあるといって苦労して回答するが、自分の図書館の資料だけでは手に負えないようなケースがあったとすれば、それは、自分の図書館が信頼されているから高度なレファレンスがあるとばかりは言えない。本来、それを受けるべき図書館が飽和状態なので近所の図書館に飛び火したのかもしれない。その時に、中途半端な体制で答えてしまうことが本当に適当なのか。
このような、他人の守備範囲を侵してまで提供するのが良いサービスではなく、自らの守備範囲にある仕事をきちんとこなすことが、最終的には信頼や評価へとつながっていく。その根底にあるのは「気持ち良く使っていただく」という気持ち、裏を返せば「不快に思わせない」対応というものだと思う。
ただし、これはdoraさんが思い付きでいきなり書いた勝手な言い分。誤字、脱字、ヘンな言い回し、屁理屈等々多数あり。不許突隅重箱。(^^;)
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